”Mad使い”のためのマッドなお話.

Madは2008年3月末で生産を終了しました。
実に2003年から5年間生産し続け、試作機から各縫製所で作ったすべてのMadは述べ181機でした。Madは毎年改良を続けながら5年間作りました。ノーズの長さやウィスカー位置など見てわかる変化もありますが、殆ど気が付かない部分でも手を抜かず改良をしているので、後期のMadは相当熟成されています。しかし、取りあえずこのセイルのままでのバージョンアップは限界に来たと悟ったので、ハッピーエンドと致しました。今のままでも、現状の性能はまだ第一線にあると思いますが、これ以上の成長を求められるとなると、個別なチューニングアップしかなく、市販機としての価格帯では限界なのです。
2002年の東京クラシック(スポーツカイト大会の名前)にフランスからMathieu
Mayetが来日し、凄いトリックを連発しても、日本人の競技フライヤーはその技の名前すら知らなかったため、夜、ホテルの彼の部屋に押しかけ、夜遅くまで彼から聞いた話はその部屋にいた私達数人だけの宝物になりました。Cometeの名前もこのときに知られたのです。MathieuはフランスのカイトメーカーL’Atelierの人なので、飛ばしているカイトはMasqueとXmasqueとImpactですが、それぞれに細工をしてあったのです。新進気鋭のR-SkyもまだOpiumが最新鋭だった時代です。L’AtelierのTransferXTRやR-SkyのNirvanaがデビューする2年も前です。ImpactとXmasqueは日本に既に入っていましたが、ユーザーはただ普通に飛ばしているだけ。XmasqueをXmasqueらしく飛ばしている人などいませんでした。で、扱いにくいカイトだと思われていました。Madはその翌年にデビューしました。お手本になるカイトなどはありません。ただXmasqueのいいところとOpiumのいいところを合わせ持っているカイトが作りたかっただけでした。
Madは私がひとりでミシンをかけて試作機を作り、自らテストし、何回も作り直してプロトタイプを完成させたカイトです。それを縫製所で量産する体制を敷き、組み立ては私自身がミリ単位の精度で1機1機仕上げました。181機すべて私の手になる作品です。(そのため左手が腱鞘炎になってしまいましたが。)今だから言えますが、最初は私ひとりでやっていることを信じてもらえず、誰か名フライヤーが陰に居てテストなどに協力しているに違いないと疑われました。日本を代表するフライヤー数人に出来上がった物を飛ばしてもらい、感想や意見を聞くことは行いましたが、まだPrecisionistが最高だと思っている人も居ましたから、ちょっと勝手が違うカイトだと思われたに違いありません。でも、今になって見れば分かるように、Madみたいなコンセプトのカイトが世界を覆うようになりました。Madを持ってくれた人はその殆どがMad好きになり、Madマニアになりました。一人で6機も7機も持っている人が何人かいます。
エスクは世界を代表する素晴らしいカイトを販売しているので、あえてオリジナルを持たねばならない理由はなく、ベストセラーにも不足していません。実際問題、白紙から作るということがどれだけ大変かは作った者にしかわからないことです。ナンといってもテストの時間が膨大になり、そのため自分が出る競技の練習などする暇がありません。それに比べれば他人が作った物を自分好みにチューニングアップすることはずっと楽な作業です。でも、自分が作ったカイトを喜んでくれるフライヤーに出会えることで、やめられないのです。
Madは次のMadに成長します。
そのMadは基本的なアイデンティティを継承し、デザインも大きく変えるつもりはありません。しかし、セイルも含めて多くの部分が全くの新設計になります。この5年間で得たものはホントに大きかったから、どんなものでも作れるようになりました。Madのデータブックは3.5cmの厚さのルーズリーフで、それが2冊にもなっていますから。
皆さん、どうも有難うございました。
次にご期待ください。
Madの写真アルバム

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